岐阜県(ぎふけん、英語表記:Gifu Prefecture)は、日本の中部地方に位置し、海洋国家である日本において、数少ない内陸側
に位置する県である。日本の中央部に位置する。
四世紀の中頃には、ヤマト政権の勢力下に入っていた。
美濃国は、日本のほぼ中心として、昔から雌雄を決する合戦の舞台となった。古くは大海人皇子がこの国を拠点に挙兵した壬申
の乱(672年)があった。
中世に入ると、土岐氏が守護を務める。戦国時代になると、「美濃を制する者は天下を制する」と言われ、美濃の豊かさに目を
つけた斎藤道三や織田信長の活躍の舞台となり、その後、徳川家康と石田三成による関ヶ原の戦い(1600年)も行われた。
織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めた。江戸時代中期の尾張藩の記録の安土創業録、濃陽志
略にも信長命名とある。ただし、異論もある。明治18年出版の岐阜志略(増補岐阜志略);長瀬寛二著 出版地 岐阜では、信長
命名以前から岐阜であったと主張している。岐阜市史などでは、仁岫宗寿の仁岫録(成立年代不明)、梅花無尽蔵、東陽英朝の
語録などに、岐阜、岐阜陽、岐陽という語句があるという。
江戸時代、徳川幕府は豊かな美濃に強大な大名が生まれることを恐れ、美濃を小藩に分割した。最大でも大垣藩の10万石であっ
た。その他に苗木藩、岩村藩、八幡藩、高富藩、加納藩、尾張藩附家老の竹腰氏の今尾藩、尾張藩分家の高須藩。飛騨国は、古
くは大変貧しい国であったため租庸調の税を免れたが、その代わり、都で飛騨の匠としての大工の労役を課せられた。江戸時代
は、木材や神岡鉱山に目をつけた幕府が、直轄の天領として統治した。
1871年(明治4年)7月 - 廃藩置県でできた今尾県、岩村県、大垣県、笠松県、加納県、郡上県、高富県、苗木県及び野村県が合
併して同年11月22日にできた。(この時点では美濃国のみ)
1876年(明治9年)8月21日 - 筑摩県のうち、吉城郡、大野郡及び益田郡の三郡を合併して飛騨国を含むほぼ現在の形となる。
1989年(明治22年)7月1日 - 市制、町村制施行。
1955年(昭和30年)4月1日 - 「岐阜県民の歌」制定。
1996年(平成8年)4月1日 - 県庁所在地である岐阜市が中核市に指定された。
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