香川県について

香川県(かがわけん、英語表記:Kagawa Prefecture)は、瀬戸内海に面する、日本の県の一つ。令制国の讃岐国に当たる。

かつては全国で2番目に面積の狭い都道府県だったが、1988年にそれまで最小だった大阪府に抜かれ、現在は47都道府県中最小で

ある。[1]古来より雨量、河川の流水量ともに少なく、旱魃に備えて、県内各地に14,000を超える数のため池が造られ点在してい

る。これは県内に高山がなく、高低差が小さいからである。

北部に広がる瀬戸内海には小豆島など多くの島々が点在。本州の岡山県とは島々を伝う形で架けられた瀬戸大橋により、道路・

鉄路で結ばれている。

瀬戸内海を越えた岡山県や、鳴門海峡を越えた近畿地方との繋がりが深い。特に岡山県との間においては、民間テレビ放送局が

同一のエリアになる程であるが、同時に対抗心も強い。

麺のコシがしっかりとした讃岐うどん、こんぴらさんの愛称で親しまれる金刀比羅宮、空海の生誕地としても知られる善通寺(

四国八十八箇所の一つ)、寛永通宝の銭形砂絵で知られる観音寺、対岸の倉敷市児島から坂出市にかけて海上に架けられた瀬戸

大橋が有名である。

正月には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「餡餅雑煮」を食べる風習がある。江戸時代、讃岐の国では塩・砂糖・木綿が特産で

、「讃岐三白」と呼ばれていた。このうち砂糖は幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入らなかったこと

から「せめて正月ぐらいは(砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい)…」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われている



香川県庁舎の設計者は丹下健三。この他にも、丹下は香川県立体育館や県営一宮団地も設計しているが、雨漏りがしたりして評

判はいまいちであった。

香川県は全国でも県民の貯蓄率が高い。温暖な気候風土でチャレンジ精神や冒険心は希薄だが、堅実で小金持ちは多く、四国お

遍路へのお接待の精神もある。 全国的に見ても、老後余生を過ごすには最適な県のひとつとされ、県民性としては健康長寿に

関心が深い。

『日本書紀』などには讃岐国は洪水や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐ではため池の開発や雨

乞い儀式などが行われていた。大宝年間から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くの

ため池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐国国主となっている。

平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友が伊予国(愛媛県)で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。朝廷

が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う。保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され、

讃岐国で死んだ。平安時代後期には源平合戦の1つである屋島の戦いが行われる。一ノ谷の戦いで源義経に敗れた平氏は屋島の戦

い(高松市内)においても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った。

鎌倉新仏教派の法然上人も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇の建武の新政が始まる

と、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏が守護大名として讃

岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は、従弟の細川頼之と戦い、敗れた(白峰合戦、現宇多津

町・坂出市)。

讃岐国では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った。このため、阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機

会が多かった。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。

戦国時代には讃岐では東に安富氏、西に香川氏が割拠し、両者中間の香川、阿野、鵜足郡に中小豪族が並立していた。この内、

安富氏が三好氏の援助を受けた三木郡の十河氏によって滅びると若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。

畿内で織田信長が天下統一事業を行っている頃、四国に置いては細川氏に代わり三好氏が台頭し、三好長慶は讃岐国の実質的支

配者となる。戦国時代には長宗我部氏が三好氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻して平定される。豊臣秀吉が四国征伐を行うと讃岐へ

は宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は生駒氏が

封ぜられる。当初は宇多津に拠点が置かれたが、後に讃岐国の中央に当たる高松に拠点が移された。

生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏

が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃

岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。

この頃には、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた。なお、吉備国から古代に分立された

備前国より、直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。

江戸時代の讃岐国は、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、江戸幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。

1871年8月29日の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県

となった。

その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併して香川県( - 1873年2月19日)が設置

され、1872年に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日 -)と同じ管轄範囲(行政区画は1888年12月に分割)とな

る。

しかし、1873年2月20日には名東県(現徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日に香川県(1875年9月5日 - 1876年8月20

日)として再設置されたが、翌1876年8月21日には愛媛県に編入された。編入の度に、地理的要因、異なる地域文化、住民意識の

不一致などによって、香川県として単独の県の設置を望む声が高まり、12年後の1888年12月3日に香川県が復活して、現在に至る



「香川県」の名称は、高松市が所属していた香川郡から取った物で、いわば郡名を県名にした物である。

2002年(平成14年)4月1日 さぬき市が成立。 - 津田町、大川町、志度町、寒川町、長尾町の合併。
2003年(平成15年)4月1日 東かがわ市が成立。 - 引田町、白鳥町、大内町の合併。
2005年(平成17年)3月22日 丸亀市が成立。 - 丸亀市と飯山町、綾歌町の合併。
2005年(平成17年)9月26日 高松市が成立。 - 高松市に塩江町の編入。
2005年(平成17年)10月11日 観音寺市が成立。 - 観音寺市と大野原町、豊浜町の合併。
2006年(平成18年)1月1日 三豊市が成立。 - 高瀬町、山本町、三野町、豊中町、詫間町、仁尾町、財田町の合併。
2006年(平成18年)1月10日 高松市が成立。 - 高松市に牟礼町、庵治町、香川町、香南町、国分寺町の編入。
2006年(平成18年)3月20日 まんのう町が成立。 - 満濃町、仲南町、琴南町の合併。
2006年(平成18年)3月21日 小豆島町が成立。 - 内海町、池田町の合併。
2006年(平成18年)3月21日 綾川町が成立。 - 綾南町、綾上町の合併。
posted by 社会人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 四国
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/62079204

この記事へのトラックバック