鹿児島県について

鹿児島県(かごしまけん)は、日本の九州の南に位置する県。

鹿児島神宮に由来する。「鹿児島」の語源は、天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)が海神(わたつみ)宮に行く際に乗った舟が鹿

児山で作られたという説や、「神籠もる島」という説、「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」

と謂われ、鹿児島は桜島の古い名であるという説、など諸説ある。
現在鹿児島市と鹿児島神宮は離れているが、鹿児島郡設置当初は鹿児島神宮周辺も鹿児島郡内であった。

旧石器遺跡が、2005年現在、約40カ所の発見されている。
古代にはヤマト王権から異民族視された隼人の住地であった。隼人の古墳は地下式板石積石室墓を特徴とする。日向国から分離

して702年(大宝2)に薩摩国、多?国、713年に大隅国が成立し、他国からの植民も始まったが、その後も隼人の反乱は絶えなか

った。
1185年(文治元)島津荘下司職に補任された島津忠久を祖とする島津氏が薩摩国・大隅国・日向国守護を独占するようになり、

戦国期には戦国大名化した。また、島津氏が守護を務めた南九州の薩摩・大隅・日向のことを「三州」と称し、島津氏が戦国大

名化した戦国期には「三州の太守」と称される事になる。

中世には坊津、内之浦などが貿易港として中国、朝鮮、東南アジア地域との交易を盛んに行ったが、同時に倭寇の大根拠地でも

あった。
16世紀末、島津義久はほぼ九州全域を征服したが、豊臣秀吉に屈服し、領国は薩摩・大隅に押し込められた。
1543年(天文12)ポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲伝来する。その6年後、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリ

スト教を伝える。

1609年薩摩藩は琉球出兵を行って琉球王国を服属させ、中国貿易のダミーとし、奄美諸島を領土に組み入れ、当地を使った砂糖

業を成功させ、莫大な利益をあげた。
幕末には長州藩などとともに雄藩となり、討幕運動を展開、明治維新を成功させ、多くの維新元勲を輩出している。

1871年(明治4)廃藩置県により、薩摩、大隅、日向、琉球の4ヶ国で鹿児島県が成立した。その後、琉球を分離して沖縄県とし

、日向を分離して宮崎県とした。
1877年(明治10)には西郷隆盛が不平武士に擁立されて新政府に対する反乱(西南戦争)を起こした。しかし東京にいた薩摩藩

出身者は薩長藩閥政府を構成し、明治時代の政治を左右した。また、反乱軍の地元であり戦後の荒廃があったが、1894年(明治

27)から知事を努めた加納久宜により立て直しが図られ、今日の鹿児島県の基礎が築かれた。
posted by 社会人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 九州
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